直線上の自由




―――敵わない、と思った。



「私の負けね…」
手に握っていた槍はぼろぼろに折られ、もはや使える得物ではなくなっていた。
「突然のお手合わせ、受けて頂き有難うございました。」
緑の騎士、セインは静かに会釈をすると、そっと倒れ込んだままのイサドラに手を伸ばしてきた。
「すみません、勢い余って武器を…」
「構いません、手加減して下さるより有り難いです」
「そうですか」
その顔に最初に顔を合わせた時の様な下心は見られない。イサドラはそっと手を伸ばす。手が触れ合い、セインはにこりと微笑んだ。
さっきまでの厳しい顔付きとは打って変わり、穏やかな笑みを浮かべている。


空には夜更けの月が煌々と輝いていた。

「…貴方は不思議な人ね。ころころと表情を変えるだけでなく、まるで力まで別人のように。」
「そう見えますか?」
セインはそれこそ不思議そうにイサドラを見、軽く腕を引っ張って立ち上がらせた。足元についた泥を軽く払って落とす。
「最初は私が勝ちましたけれど…貴方の力はあんなものではなかったのですね」
「いえ、これも今までの戦いの中で学んだことが多くあったからこそです」
「そうですか。…貴方は、何故あんなにも強い、いえ、強くなろうとするのですか?」
「分かっておられたのですか?」
セインが意外そうな顔をする。きっと図星なのだろう。
「最初はなんて軽薄な人なのかしらって思ったわ。でも、貴方は見かけで判断できるような人じゃなかった…」
「イサドラさんは、よく人を見られておいでですね」
セインの瞳が一層柔らかみを帯びる。光をよく通す色だ。
「何故です?やはり主君が身近で戦っておられるからなのですか?」
「いえ、それもありますが…俺にも譲れない、大事な人が居るからです」
「主君よりも?」
「こんな事は、騎士として情けない事ですが…主君に出会う前からもずっと、大事にしてきた、人でしたから」
セインは申し訳なさそうに答える。恐らく本音なのだろうが、それは騎士として言ってはならぬ事だと分かっていて打ち明けたのだ。
なんて不器用で、素直な人なのだろうとイサドラは思う。それはきっと誰に対しても向けられることなのだろう。一部を除いて。
「そんな人が居るなんて、貴方は幸せ者なのですね」
「そうですね…俺には、もったいない人です。主君ももちろんの事ですが、いつでも傍に居て、共に在りたいと誓ってきたものでした」
イサドラの脳裏にも、大切な約束を交わした人の顔が思い出される。
「私にも、そういう方が居るのです」
「イサドラさんにも?」
「ええ。だから…貴方の気持ちが、少し分かる気がするのです」
「大事な人が居てくれるから、俺はいつも頑張ってこれたし、これからも頑張っていける、そう思うんです」
「貴方は立派な騎士ね」
イサドラは、心からそう思っていた。最初の印象など、彼の仮初めの姿に過ぎなかったのだ、そう思った。
「いえ、騎士は本来主君を第一に思うもの…これでは大事な人にも呆れられますよ」
「それでも、立派な騎士よ」
そうでしょうか、とセインは呟いた。しかし口元は頬笑みを浮かべていたから、きっとそれでもいいと思っているのだろうか。

「でもイサドラさんにも大事な人が居たなんて…惜しいことを!」
セインは少し声を弾ませて顔に手を充てる。
「ふふ、お互い様ですわね」
どちらにせよ、いつもこんな風であれば女性にも受けがいいだろうに、と残念にも思う。
それとも、彼のこんな一面は彼の“大事な人”が知っていればそれで十分なのかもしれない。彼が本当に望んでいるのは、その人の心だけなのだろうから。
「それでも、あいつの大事な人は主君ですし、俺にとってもあいつにとっても主君はかけがえのないもの、なんですけどね」
へら、と笑った彼は酷く無邪気で、何処か切なくて。
「きっと…どちらかしか護れないとしたら、主君ではなくて…大事な人の方を選んでしまうかも、しれません」
「そう…ですか」
「そうしてしまったら、それこそ怒られて…、見損なった、なんて言われて離れらてしまうでしょう…それが、俺にとっては一番怖い事なんです」
目を細め、彼は続ける。
「主君を失う事よりも、国を失くす事よりも」
「……」
イサドラは押し黙った。何と言葉を続けていいのか分からなかった。
…何より、そこまで人を愛する彼に、自分が抱いているかの人への想いは、到底敵わないものだと悟ったからだった。
彼の独白にも取れる本音は、簡単に口の出せる領域の話ではない。
もし自分が、主君と大事な人のどちらか、選ばなければならないとしたら。
自分は騎士だ。それも聖騎士の称号を受けた、信頼も厚い騎士なのだ。自覚はしている。
だからこそ、選ぶ選択肢は当に決まっている事だった。
彼はまだ聖騎士になっていないとはいえ、騎士がいかなるものかは分かっている筈だ。それでもなお、彼は大事な人を優先するのだと言う。

「こんな事…イサドラさんにくらいしか、言えませんね。…きっと」
「…」
「だから、この戦いが終わったら…大事な人と、主君と無事に生きて帰れたら…俺、今の騎士を辞めるつもりでいるんです」
「! 何故…?」
「この大きな戦いの中で、いろんなものを見た。誰もが、それぞれ何かを感じてきた。この戦いが終わった時、きっと皆、もっと成長しているでしょう。
それは俺もそうだけれど、あいつも同じだ。それなのに、まだあいつに依存なんて、きっとしていられない」
「依存、ですか」
「それだけ長く側に居たんですよ。…それに」
「それに?」
彼はそこで、ふっと顔を上げた。
「もっとこの世界を見てみたい、って思うんです。この遠征の中で見られなかった、大陸の果てまでも…この目で」
彼の琥珀のような瞳に、きらきらと月光が映る。その光景はとても神秘的であった。




「貴方は何処までも不思議。まるで…風のように」
「…よく、言われます」
その時の彼の顔は、震えるくらい、綺麗だった気が、した。




―――敵わない。きっと、この人には。


辛い様な、けれども澄み渡る様な、この気持ちは夜と共に静かに沈んでいった。













End


セインはほんとに騎士にむいてるのかなっていう人だと思ってます(個人的に。
きっと騎士っていうより傭兵の方が似合ってるのかも。
イサドラは、大切な人のことはとても愛しているけれど、騎士でいるうちは自分が騎士であることを一番に置いていそうです
だからセインの素直さにはちょっとびっくりしていそう。この二人の支援は結構好きですね
…とりあえず、真面目なセインを書くのは楽しかったです 2012,12,27



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